自動運転で変わるのは、運転ではなく「移動時間」かもしれない

運転席がない、という体験
車に乗り込んだとき、最初に違和感を感じたのはハンドルを探してしまったことでした。
ドアが開いた瞬間に目が右前方へ向き、「運転席はどこだろう」と無意識に確認しようとした。
でも、そこには何もない。ただ、向かい合ったシートが静かに並んでいるだけでした。
ラスベガスで乗ったZooxは、運転席が存在しません。
前後対称に向かい合うシート、かすかに流れる穏やかな音楽、静かで滑らかな走り出し。乗り物というより、走る部屋、という感覚に近かったです。
アスファルトの継ぎ目を踏むたびの微振動はありつつも、エンジン音がない分だけ、車内はずっと落ち着いた空間として成立していました。
子どもの頃に図鑑や映画で見ていた「未来の車」のイメージが、そのまま目の前に現れたような感覚でした。
Zooxは現在、ラスベガスのような限定エリアのみで運行されています。今回たまたま乗れる機会に恵まれたのですが、それ自体がなかなか得がたい体験だったと、あとから気づきました。
ZooxとWaymo——同じ「自動運転」でも、目指す場所が違う
今回、ロサンゼルスとラスベガスでWaymoとZooxの両方に乗り比べる機会がありました。


Waymoは既存の乗用車に自動運転システムを搭載したタイプです。見た目は普通のSUVで、運転席の部分にセンサーが付いている。シートやドアの配置は、街中で見かける車とほとんど変わらない。
「自動運転なのに、なんだか普通だな」というのが第一印象でした。
東京でも近く導入が予定されていると聞いていて、街中に溶け込む形で普及していくイメージは十分に持てました。
対してZooxは、Amazonが開発しているもので、車そのものの設計が根本から異なります。
前後に対称のドアがあり、中央通路を挟んで座席が向かい合う構造。運転席という概念がなく、その分だけ車内の空間が広く、居心地が良かったです。乗り込んだあと、ふと「どちらが前なんだろう」と思った瞬間があって、それくらい前後の非対称性がなかった。走り始めてからも、進行方向への意識が自然と薄れていき、気がつけば景色をぼんやり眺めているだけになっていました。
そして、行き先の入力はアプリで完結します。タップして目的地を入れれば、それだけ。その手軽さにも感動しました ^ ^ 。
どちらも「自動運転」という言葉で括られますが、実際に乗り比べてみると目指しているものがまったく違う印象でした。
- Waymoは:既存の車を自動化する「改善」のアプローチ
- Zooxは:乗り物という概念を一から作り直す「再定義」のアプローチ
と言うと少し整理しすぎかもしれませんが、体感として、その差は明確でした。
初めてWaymoに乗ったときは「すごい技術だ」と思い、Zooxに乗ったときは「車ってこういうものでよかったんだ」と感じた、その違いがすべてを表しているかもしれません。
移動しながら、そのまま会議ができる
Zooxに乗って気づいたことがもう一つあって。向かい合わせのシート配置が、仕事や会議にとても向いているということでした。
移動中に自然と会話が弾む、というのはもちろんなのですが、それ以上に印象的だったのが「移動しながらそのままミーティングができる」という体験でした。今回は役員メンバーで一緒に乗る機会があって、移動中にそのまま話し合いに入れたのは、思いのほか大きな体験でした。
「車の中で会議をする」というのが、これほど違和感なく、むしろしっくりくるものなのかと ^ ^ 。
移動時間が、そのまま意思決定の場になり得る。実際に体感してみて初めて「ああ、これは使えるな」と感じました。
技術の「現在地」を肌で感じる
国内で自動運転と聞くと、まだ実証実験段階というイメージを持っていた部分があって。
実際に乗るまでは、走行中にガタついたり、交差点の判断が遅れたりするんじゃないかと、正直少し身構えていました。
でも両方とも走行はとてもスムーズで、急ブレーキもなく、交差点での挙動も自然でした。歩行者が横断しようとした瞬間にスッと速度を落とし、確認してから加速する——その一連の動作が、ベテランドライバーのそれに近かった。
Zooxは特に、車内の静けさと合わさって、どこかリラックスできる空間になっていて。気づいたら普通に窓の外を眺めていました。
「もうここまで来ているのか」という驚きと、「子どもの頃に想像していたものだ」という懐かしさのような感覚が、同時にありました。技術の進化というのは、遠くから眺めているとなんとなく「まだ先の話」に見えてしまうものですが、実際に体の中に入ってくると、現在地の解像度がまるで変わります。
自動運転については賛否両論あることは承知しています。それでも、実際に乗って居心地の良さや利便性を体感した今は、確実に普及していくだろうという感覚が自分の中に生まれました。知識と体感は、やはり別物でした。
「改善」か「再定義」か——事業の問いとして、そして社会課題の文脈として
帰国後もしばらく、ZooxとWaymoの違いが頭に残っていました。
「改善」と「再定義」という二つのアプローチは、自動運転に限った話ではないと思っています。たとえばiPhoneが登場する以前、携帯電話メーカーの多くは「通話品質を上げる」「ボタンを使いやすくする」という改善の文脈で競っていました。Appleはそこに「電話とはそもそも何か」という問いを持ち込み、市場ごと作り直した。NetflixもDVDレンタルを「より速く届ける」改善ではなく「そもそもディスクがいるか」という再定義から始めました。どちらの事例も、再定義のアプローチが出てくるまで、改善の積み重ねは着実に続いていた。その両方があったからこそ、次のフェーズが生まれたんだとも言えます。
Waymoのように既存のインフラや法規制に合わせながら普及を進める方法は、現実解として非常に合理的です。
一方でZooxのように、「そもそも車とは何か」という問いから始めた設計は、中長期的に見て全く別の市場を作り出す可能性がある。
そしてもう一つ、経営者として気になったのが、社会課題との接点でした。
日本では人口減少や過疎地域の移動手段の消滅、ドライバー不足といった問題が着実に進んでいます。
自動運転は、そういった文脈でこそ本当に必要とされる技術なのかもしれない。「便利な都市のサービス」としてだけでなく、「移動の選択肢がなくなりつつある地域の課題解決」として捉えると、その意味合いがまた少し変わって見えてきました。
自社のサービスを考えるときも、同じ問いは常にあると思っています。
今あるものをより良くしていくことと、前提から組み立て直すことは、どちらも正解になり得るし、どちらを選ぶかによって向かう場所がまったく変わる。「自分たちは今どちらの問いを立てているか」を意識しておくことが大事なんじゃないかと、改めて感じています。
まだ答えは出ていませんが、この問いを持ち続けながら、事業の次のフェーズを考えていきたいと思っています。
